UX SHIGA#01
成安造形大学で開講された公開講座、UX SHIGA(全5回シリーズ)を受講したのでその振り返りを書きます。
講師はおなじみの浅野先生です。
浅野先生に繰り返し言われている「ものごとは3つに分けてまとめなさい」に沿って、今回学んだことを3つにまとめてみました。
学んだこと3つ
・「ユーザビリティ→UX」の変化は、「モノ発想→サービス発想」の変化。
・発達するための態度とは、人と共に学ぶこと。
・HCD=発達(なのではないだろうか)。
・「ユーザビリティ→UXの変化」は、「モノ発想→サービス発想」の変化。
ユーザビリティという考え方がより進化?したものがUXだと解釈していましたが実は違いました。
ユーザビリティの概念が発生するのはモノありきの場合で、モノをより良くしていた先にユーザーの幸せがあるという考え方です。一方UX(ユーザー体験)の概念はユーザーにどんな体験をさせたいかという発想がまず初めにあって、それを叶えるために手段としてモノやサービスがあります。
そもそもこの2つは発想のスタート地点が違うのだということが分かりました。
・発達するための態度とは、人と共に学ぶこと。
まず、学びには2種類あることを理解しました。
「スキル学習」と「発達」の2つです。
「スキル学習」とは行動の基準となる学問・常識を身につける学習です。つまり先人の知恵、公式(ベストプラクティス)を頭に入れる行為です。習うと分かっちゃう世界。
「発達」とは背景の深い理解・新しく変化するものを知るため学習です。こちらはより本質的な理解を得るための行為です。
背景や変化するものを知りたい時、知識だけを詰め込めば簡単に理解できる!という訳にはいきません。
まだ何かよくわからかないことを繰り返し体験し、蓄積し経験に昇華。その経験を多様な観点(ここがスキル学習で得た学問・常識ですね)から振り返り、他の人でも理解できるように概念化する。そして実行する。このプロセスで発達は行われます。
つまり先人の知恵を活かし、自分が次なる先人の知恵(ベストプラクティス)を作るために繰り返しぐるぐる省察することが発達だと言えます。
これはスキル学習のように「この公式を頭に入れればテストで○点」みたいな確約は無くて、何回も問題に向き合い続けるという「態度」です。発達とは、態度。
学びの種類が2つあるというより発達の中にスキル学習が含まれているのをイメージしました。
そして発達するためにはグループ活動、人と共に学ぶのがふさわしいと先生は仰いました。
一人でできることには限界があるけれど、他人のちょっとしたアドバイスや指導が入ることで、できることの範囲が広がる時ってありますね。
その差分を「最近接発達領域」と呼びます。人と共に学ぶことは省察する際の知識や視点を広げること。つまり自分1人の限界を突破する=発達することなのだなと思いました。
・HCD=発達すること(なのではないだろうか)。
まずこの前schooで聞いたCONCENTのサカタさんのお話を書いていいでしょうか。
サカタさんはその講義で「伝える」≠「伝わる」ということを語ってらっしゃいました。
例えば、
相手に好き勝手ぺらぺらしゃべって「伝える」とします。でもこれだと、相手が理解したかどうかは分かりません。
相手が「なるほどね!」と返してくれて初めて「伝わる」になります。
この違いってびっくりするくらい違います。(ぺらぺらしゃべってすっきりすることが目的ならいいとして)そもそも相手に何かしらを届けたいから「伝える」のであって。目的は「伝わる」こと。
そしてこの「伝わるためのしくみを考えること」こそがHCDだとおっしゃっていました。
「デザインとは、相手に花束を渡すようなものだ。」−中西 元男さん(PAOSグループ代表)
「花束を相手に渡す」この行為の背景には「相手へ自分の気持ちが伝わってほしい」という思いがあります。
そんな時にいかにスムーズに渡すか、花束の空気抵抗を減らすか(笑)、なんて考えていても無駄で、それよりも相手の好きな花はなんだっけ、今日の機嫌は、ロマンチックなのは苦手かな、など相手のことを考えまくります絶対。
「渡す」という手段のことより、「どうやったら気持ちが伝えられるか」という目的のことをたくさん考えます。
そして渡した後相手の反応をうかがって、次回へのチャレンジに活かす。
まさにHCDのプロセスだ!と思いました。
「伝わる」は1か0かみたいな話ではなくてもっと伝えたい、もっとより良く!という世界だと思うので、相手を知り(コンテキスト)、省察し、実行し、評価してもらい、それをぐるぐる続けていくことで高めていく(=発達していく)ものなのだろうなと思いました。
いろんな人と共に取り組むことでたくさんの発見ができ、より良い解決案を見つけられる。&「伝わる」は1人ではできない、相手のフィードバックが必要。
HCDも人と共に行うものなのだと分かりました。
先生の講義を聞くのは3回目くらいなのですが、今回は、今まで部分的に理解していたものが繋がって、流れとして理解できたように感じました。
(なぜユーザー特定?コンテキストで見る?の理由に納得がいくなど。)
それこそ今まではスキル学習的に知識でだけ理解してきたものが、何回も講義を受けたりブログで振り返ることで、より深い理解=発達に繋がったのだと感じました。
でもこの記事はまだうまく書ききれていないし、せっかく部活のメンバーも増えたので、引き続きみんなであーだこーだ語り合って理解を深めていこうと思います。
そうです部活(情報デザイン研究会)のことですが、実は今回講義とワークショップのグラフィックレコーディングにチャレンジし大失敗しました。
そこで、先生のご指摘と反省会から気づいたことを書きます。
・目的が甘い
「振り返ってみるために〜」などを目的にしていたけれど、その先の「じゃあ何のために振り返るの?誰が?」というところまでが考えられておらず、謎の情報の塊が出来上がった。
「目の前に一番詳しい人がいるんだから直接聞きなさい」と先生は仰いました。
「常葉の人達は必ず始める前に確認しに来る」確かにいつも皆さんそうしていた。何回もその様子も見ていたはずなのに〜・・・常葉の皆さんの行動の背景を考えずにただ見ていただけだったから、活かせなかったんだろうなぁ・・・。
反省して途中から休み時間などに先生に確認していただいた。
もちろん見せられるようなものには仕上がらなかったけれど、自分が解釈したことを外化して先生に読んでもらい、その場でフィードバックを頂けたので、自分の理解を促進することには役立ちました。(ユーザビリティ→UXの変化の話がその例です)外化の大切さを身にしみて感じました。
・学生のための易しい言い換えが役割だった?
反省会では、初めて講義を聴く子達が多く、とにかく新しい用語についていくのに必死で内容の理解が追いつかなかった。という声が聞かれた。
例えば学びについての講義の時、「知識・技術」「スキル学習」「シングル・ループラーニング」ここら辺の用語は近い意味?ニュアンス?の言葉だと思うけれど、多分初めて聞く学生には全て別々に聞こえてパニックになっていたと思う。
無理にグラレコはやらず、そういった新しい言葉などを易しく言い換えたり、分かりやすい言葉で統一したメモを貼っておくだけで良かったのかもしれない。
・ひとりよがりすぎ
先生に聞きに行かなかったのもそうだし、ワークショップの時に参加者の人に何にも説明しなかったのはいけなかった。終わってからこれは何のためのものなの?とたくさん質問をいただいて、私たちもなんだろう・・・?となって恥ずかしかった。
練習してきたつもりだったけどとにかく形にするっていう手段にばかり執着していて、視野が狭くなっていた。
練習するにしても、もっと先生やいろんな人に見てもらえるようなアウトプットをしていかないといけないと思いました。
今回は講座のためではなく私達が色々気づくためのグラレコだったと感じました。
前までの自分だったら自己嫌悪で死にそうになってたと思うのですが、今は「これだとうまくいかない、ということが分かった!」と前向きです。落ち込んでもいるけれど。
部活を始めてからトライ&エラーが日常になってきたので、
失敗→この世の終わり
ではなく
失敗→次への改善のヒント
という発想ができるようになっていたことに気付きました。
成果としてはだめだめだけど、今回のテーマでもあった「態度」という点では成功しているのかもしれない。