UX SHIGA#04
今回はカスタマージャーニーマップ(CJM)についての講座です。
予定していたエスノグラフィーは堅田の街が田舎で人がいなさ過ぎて中止になりました。(滋賀~)
質的調査についての講義を受けた後、各チームでCJMの制作に入っていきます。
講義の話
質的調査には人を見る力が必要不可欠。
そしてその力は技術ではない。人間力だ。
いざ人を見ようとしても、そもそも相手に興味がないと見る気になれない。
その興味っていうのは、普段からなぜなぜ?と物事に関心を持っていないと湧かないもの。
関心を持つひっかかりを作るのは、日々学んでいること体験していること、そしてそこから考えたこと。
若いうちから色んな経験しといたほうがいい、とかよく言われますが、その意味が分かってきました。
人間力とは、知識だけでなく経験・いろんな人の価値観・考え方を取り入れ、物事を豊かに捉える力だと思いました。
根底には好奇心があると思います。
だから技術にあまり囚われない方がいい、と浅野先生は話されました。
リベラルアーツという考え方があります。
原義は「人を自由にする学問」であり、それを学ぶことで一般教養が身に付くもののことであり、こうした考え方の定義としての起源は古代ギリシアにまで遡る。
「困難な課題に取り組むことによって、人間性を高めること」先生はこう表現されました。
CJMだっていつかは廃れる。大切なのは、CJMを通して人間性を高められるかどうか。
今回の講義はなんだかいつもより言葉に力が入っているように感じました。(私だけ?)
これからWSに入っていく参加者の皆さんに、浅野先生はそんな気持ちで挑んでもらいたいのだと感じました。
WSの話
参考:去年UX KYOTOで体験したCJM制作の記事です
「最悪の旅」をテーマにチーム内でインタビューを行い、リードユーザーを決め、その人の旅のCJMを作っていきます。
今回は去年と違う手順で進めます。インタビュー後のペルソナやステークホルダーマップなどは制作しませんでした。
タッチポイントを先に書き出してから、思考や発話を書き出し貼っていきます。
先生は 「カードソートじゃないからね、タッチポイントだけを書き出してくださいよ、それ以外のことは要求していません」
と仰っていましたが、
参加者の皆さんはインタビューした内容を全て書き出し並べていました。(思考や発話も混ざっている状態)
それを見て何か違和感を感じつつも、どういった情報をピックアップしてタッチポイントにすればいいのか分からずモヤモヤ。
先生の 「旅とその人の出会いを書いてくださいよ!」という言葉で、旅もサービスだ!サービスと人の出会いを書きだすんだ!とハッとする。
インタビューした内容を「誰のなんのためのサービス」と言い換えられるくらいの理解がないと、混乱が起こるのだと思いました。
インタビューの時の先生の言葉
「アウトプットを知らないと何聞いていいか分からないからインタビューがうまくならない」
これはCJM作りの最中にも言えると思います。アウトプットの形も分からないし、旅ってつまりサービスだ!という意識がないままだと、どこに着目して作ればいいのか分からない。
作業しながらそこまで頭働かせるのはかなりハード・・・だからこそ「全てのものはサービスだ」という感覚が身についていることが大切。
観察の話
参加者のほとんどの方がかなりモヤっとして終わられたのでないでしょうか。
観察している側も同じで、これだ!という成功パターンは見つけられず・・・
研究会員の荒木さんが言っていた
「観察していたら、どのチームもみんな同じ感じの動きをしていて、全体が一つの塊に見えた」
という言葉が印象的でした。みんなが悩んでいた雰囲気。
先ほども書きましたが、それくらい今回のWSはハードモードだったんだと思います。
なるほどこういうことなのか!って納得感は少なかったように思います。
でも、だからこそリフレクションが活きる回だな、とも思いました。
今回はワーク中、参加者の皆さんに話しかけづらい雰囲気があって(CJMに必死で大変そうで・・・! )、
今どういうことをしているのですか?なぜですか?と質問するタイミングがありませんでした。
なので参加者の皆さんがどこで悩んでいるのか、ほとんど把握できていまません。
だからいつも以上に、ブログなりFacebookなりリフレクションして頂いて、心のうちが知りたいなと思いました。
でもそれにしたって、いつもより発見が少なかった!と私は個人的に思っていました。
1つ心当たることがあります。今回観察を行った研究会員は4人で、いつもより少なかったのです。
今までは5~6 人で6チームをウロウロしていたのですが今回は4人。
1人あたりの観察する人数が増え、観察しきれず、見損ねた行動や発言がたくさんあったのかもしれません。
そこで先生が兼ねてから言ってくださっていた
「誰か1人についてその人をずっと見るんだよ、その人がどう変化していくかを見ていく。」
という言葉を思い出します。
全体を見たとしても浅くしか見れていなかったら、分かりやすいことしか発見できない。
1人や1チームをじっくり観察した方が、深い洞察ができていいのかもしれない。
多分分かりやすい発見は前回前々回くらいで発見し終わっていたので、もう何を見たらいいのか分からなくなっていたんだと思います、私は。
更に細かい部分を見ていきたかったけど、人数も足りず表面的な観察しかできなかったことに違和感を感じていた?
そして成功パターン&失敗パターンをどう全体へ共有すればいいのか。これもまだ疑問です。
前回は後日Facebookにまとめてアップしたけれど、果たして意味ある活動だったのでしょうか・・・
成功パターンはワーク中に知りたいような。でも終わってからじゃないと成功かどうかって分からないし・・・
じゃあ、ワーク中に成功パターンを提示できなくても、成功パターンになるきっかけを散りばめられないだろうか。
それは例えば10番目の男(ユダヤの教え:予定調和が起こらないようにするため、必ず全てに否定的なことを言う人)の役割のように。
チームを主観から客観に引っ張り、自分達が今やっていることを冷静に見つめ、落とし穴(思い込みや予定調和)に気がつくためのきっかけを作る。
チームに必ず10番目がいることで、落とし穴にはまらない(=成功パターンになる)きっかけができる。
そして10番目の否定に対してどう対応したのかで成功パターンと失敗パターンが比較できるようになる。
そもそもWSの成功って何?って定義が曖昧ですが・・・!
(個人的にはなぜ?の気持ちを強く持てた場合が成功かなと思っています)
次回最終回に向けて作戦を練らないといけません。
振り返り会の話
情報デザイン研究会では「参加者の人が何を考えているのか知りたい!」ということでリフレクションシートを作り実施していました。
ですが紙面での質問には限界があって、もっと深くインタビューしたいよねという話になりました。
なので今回は更に発展し、懇親会も振り返り会と名を改め、そこでぶっちゃけた話を聞こう、という企画を行いました。
準備の時に大切だよねと話していたのは、参加者の皆さんと仲良くなること。
今までもWS中にインタビューしていたけれど、それって本当に思ってることなの?
なんか表面上のキレイな言葉で返されているな~と感じることがありました。
そこを越えて本音を聞き出すためには、相手の懐に入るしかない。
そこで振り返り会では冒頭で学生と社会人ペアになってもらい、他己紹介を行うアイスブレイク(今更笑)を行いました。
社会人を学生が紹介します。テーマは「仕事で失敗してよかったなと思う体験」です。
目的は
・社会人と学生に打ち解けてもらう(学びに雰囲気って大切だから)
・「WSの話」で盛り上がりたい(この場をリフレクションの場にしたい)
・自身の失敗は成功の元エピソードを出してもらう(それもリフレクションですよね?という問いかけ)
ラポール(信頼関係)を築きたかったのだと思います。(先生が偶然話されていて驚きました)
アイスブレイク後の人の動きを観察していると、ペアになったのが良かったのか、社会人と学生が混ざり合ってお話ししていました。
・社会人と学生に打ち解けてもらう
これはうまくいったかなと思っています。
・「WSの話」で盛り上がりたい
これについては、参加者の方々に記入してもらったリフレクションシートをプリントアウトし、配布しました。
手元でみんなのリフレクションを見ながら指差しして話せば、自然とWSのリフレクションが行われるかなと。
不安だったのが、軽食を食べながらの会話になるのでリフレクションシートは小脇に抱えられてしまうのではないか、ということ。笑
案の定小脇に抱えたりテーブルに置かれてしまったので、配布する必要はないかなと思いました。研究会員が持ってさえいれば大丈夫そう。
研究会員はリフレクションシートを持ち歩き質問して回りました。
ですがシートを読み込む時間がないまま振り返り会に入るので、あまりWSについての質問はできず、
準備していた別の質問ばかりしてしまいました。(なんでFacebookでコメントくれないの、とか笑)
ぶっちゃけた質問もさせていただいたので、ラポールは少し生まれたかもしれません。
ただ、WSをすぐにリフレクションするのはなかなか難しいと思いました。やっぱりもう少し人数がいないと厳しいのかも。
誰か研究会入ってください!
・自身の失敗は成功の元エピソードを出してもらう
これについては意図がうまく伝わったのか謎です。笑
全然うまく喋れなかった~~~
次回は最終回。最終回のその先は?をみんなが考えられるきっかけができたらいいな。
思ったこと
講評の時、私は自分がそこまで深い思考とか価値を意識しながら生活していないことに気がつきました。
例えば「ちょっとめんどくさい」という気持ちには
「疲れていてそんな気分になれない」とか
「機嫌が悪い」とか
「もうちょっとだらだらしていたい」
「他に優先させるべきことがある」とか、
色んな背景があると思います。でもその背景まで普段は考えません。
普通の人なら別に良いとして、見る、分析する側はそうじゃだめだなと思いました。
普段からそういう視点で見る癖がついていないと、WSで突然見てください!と言われても不可能。
WSを完璧にこなそうとするより、普段の日常を見直すべきだなと思いました。本番は日常!
UXを学びたくてこの講座に参加していますが、回数を重ねるごとにこれはまだ学びの入り口に過ぎない・・・という気持ちが強くなっていきます。
答えを求めて開いたカーテンの向こう側に次のカーテンがある感じ。
研究会員の岸本さんがブログに書いていた中国人の話、私も一緒に聞いていたのですが、
原因への解決法を見つけた!と思って満足して、その原因が起きた原因(なんで中国人は騒がしいの?)ってとこまでは普通考えない。
先生に言われ「そこを考えるのか!」とハッとした瞬間の鳥肌。
「分かったつもり」の背後にはまだまだ知らないことがたくさんあって、それを見るための視点を手に入れた瞬間の鳥肌なんだと思います。
果てしないです。でも楽しい。今は学生が好きでやってるから楽しいんだろうけど、
来年社会人になった時どうなるのだろう。この感覚を持ちながら働くってどういうことなんだろう。
って最近ちょっと不安になります。おわり。