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振り返りや日々学んだ事を書きます。

リアルタイムドキュメンテーション学生ワークショップin九州産業大学

11/21~23の3日間、情報デザイン研究会の有志4名で福岡に行ってきました。今までで一番の遠出!

  

・11/21 リアルタイムドキュメンテーションWS in九州産業大学常葉大学×九州産業大学)に混ぜてもらう

・11/22 UXフォーラムに参加する

 

のが目的です。

  

21日のWSは九州産業大学(以下九産大)経済学部の学生に、RTDの研究を行ってきた常葉大学の学生がレクチャーをし、翌日22日のUXフォーラムでRTDに一緒にチャレンジしよう!という企画です。

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浅野先生からのお声掛けで、成安造形大学も観察者として混ぜて頂くことになったのです。

「何か技術や技法を学ぶのではなく。(学生同士の)はちゃめちゃな他流試合をしたい。目を開かせるのが目的ですね。」

という三大学の先生方の会話も教えていただきました。

 

時系列に書いていくとキリがないので3つに分けて書きます。

九州産業大学の皆さんから学んだこと

常葉大学の皆さんから学んだこと

・成安造形大学が考えたこと、したこと、WSを経て私が考えたこと

 

九州産業大学の皆さんから学んだこと

実は、初めて取り組む九産大のみなさんとは熱量の差があるだろうと思っていました。

事前にスカイプで話せたのも一部の人達だけだし、聞いた話によると「先生に誘われたしとりあえず参加しよう」な人がほとんどだそうで、ゆる~っとした人達が集まるのかなと想像していました。 (学生にとってWSって気軽なイメージだし。)

でもこの勝手な想像は、実際はすごく失礼なものでした。

九産大の学生は想像の何倍も熱心で、物怖じしなくて、かなり圧倒されました。(WS以外でも)

私達は普段すぐ考え込んで手が止まりしぼんでいきがちです。

でも九産大はとりあえずやってみる!失敗してもとにかく進む。進みながら考える。

知ったかぶりするわけでもなく、だりぃ~って言うわけでもなく、「まあやってみようぜ!」というエネルギーがまっすぐですごかったのです。

RTDなんて初めて取り組むことなのに!

「振り返りしましょう」とアナウンスしていた成安造形大学が今更振り返りを書いてるのに対し、いの一番にブログ書いて、早速RTDを授業に取り入れて。Facebookを見ていても追いつけないくらいの勢いです。

この違い、男の子が多いからかな?と話していました。

良い意味で男子特有のノリがあって(女の子もいらっしゃいますが・・・!)、正直羨ましかった。

凄まじい瞬発力、見習いたいです。

一度一息入れちゃうと、再開するのが大変なんですよね。腰が重くなっていく。

だから九産大みたいに間髪入れずにやっちゃうのがいいんだと感じました。

普段も元気いっぱいなのかな。WS後の夜も、明け方まで課題について語っていたと聞きました。

私達に足りないのはもしかして体力・・・?

 

それと、RTDに2つの方向性が出来ていたのが面白かったです。

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1. 見た目が綺麗にまとまっている(が結論は割とざっくりした印象を受ける)

 パターンと、

2.見た目は結構まとまっていないっぽい(でも結論に解釈を深めようとした跡が見える、納得度高め)

パターンがありました。

 

ぱっと見1.の綺麗にまとまっている方がうまいRTDだ!と思いがちですがそんなことはなくて、どちらにも良さがあると思いました。

1.はもちろん後から見返しやすいという良さ。

2.には、作り手の解釈がより含まれているという良さ。

まとまりきらなかったのは、きっと構造化の前に「どういうことだ?」と考える時間が長く取られたからだと思います。

私はこれを素敵な傾向だと感じました。

綺麗に書こうとすると、アウトプットを先に決めて事象をそのフォーマットに収めていきがちです。

ですがそれは時に、こじつけに近くなる場合があると思います。(自分達がまさに経験した・・・)

本来の構造を歪めてしまうというか。これは美大生特有の陥る溝なのかもしれません。

レポートなど、文章で情報を扱う機会の多い学部の人(今回の九産大とか)は、いざポストイットになっても、それをモノのレイアウトとして見るのではなく情報の構成として見られるのだと思いました。

 

常葉大学の皆さんから学んだこと

22日UXフォーラムでのRTDに対して、私はすごく「あって助かった!」という気持ちでした。

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フォーラムは登壇者の方の持ち時間が長めなので、一つ一つの話題はなるほどと聞けていても、あれ、これらがどう繋がってるの?と全体が見えなくなってしまうことが多々ありました 。

そんな時にRTDを見に行くと、話題同士の関係性が作られ、話の大きい筋道が掴めました。(筋道を理解するのとしないのでは、腑に落ち具合がかなり違います。)

RTDを「確認」に活用していました。

自分が話に追いつけなくなった時、聞き逃した時に穴埋めをしてくれる。私はこう解釈したけど、あなたはどうだった?と聞きに行ける心強い存在。

 

「予測をしないというルール」

常葉広沢さんのブログこんな言葉がありました。

私はこれを「(アウトプットを)予測しない」だと解釈しました。

まさに九産大に感じた進め方で、

 「(アウトプットを)予測しない=まず自分の中で一度咀嚼して解釈するプロセスをしっかり取る」

ということなのかなと思います。

今後RTDにチャレンジする機会があれば、「予測しないというルール」は絶対念頭に置きたいです!

 

また、今回でやっとRTDの見方が分かった気がしています。

RTDを見さえすれば、話が分かる!というものではないのだとやっと気が付きました。

自分でもしっかり話を聞き、自分の解釈と比較させながら読まないと全然頭に入ってきませんでした。(少なくとも以前の私の見方では入ってこなかった。)

 

また、会場でフォーラム参加者を観察・インタビューしていてRTDについて気づいたことが2つあります。

 

1.参加者の人達も見方がよく分からないのでは?

写真は撮るけど、RTDを囲んで議論する様子はほとんど見受けられなかった。

「どうですか?」と聞くと「すごいですねー」と返ってくる。

(「どうやって見ていますか?」と質問してみたらよかったかな?)

私達は特に参加者の記録方法を観察していたのですが、

リクルートの坂田さんに「その記録がその後どのように活用されているのか、フォーラムの後も合わせてデータを取った方が良いよ」

とアドバイスを頂きました。

このお話がRTDにも当てはまると思います。

写真は撮るけど、みんなその後どうしてるの?

 とある方は

「(話を聞いて)今の自分が感じることと一週間後の自分が感じることは違う。だから後でもう一度見て、話を追体験するために写真を撮っている。」

と仰っていました。

私はその場でしか活用しなかったけれど、後で活用しようとする人もいらっしゃる。

写真のその後をもっと調べて、その後の使われ方が具体的にオープンになれば、

写真撮って「すごいですねー」で終わりな人も、活用方法が分かってくるかもしれないと思いました。

 

2.RTDが役に立つのはその場にいた人達だけ?

私は参加者の解釈ありきで、それを補佐する役割がRTDだと思った。

だとしたら参加してない人が見ても断片的な情報しか入ってこないし見てもあんまり意味ない?

だから自分が参加していないフォーラムとかのRTD見ても、先ほどの方のように追体験はできないかもしれないという仮説。

RTDってその場にいた人専用なのかなーとぼんやり思いました。

 

 ・成安造形大学が考えたこと、したこと、WSを経て私が考えたこと

ちょっと話が前後してしまうのですが、WSの話に戻ります。

最初にお声掛け頂いてから色々考え、WSのテーマは

「記録(RTD)の技術を練習するのではなく、記録の目的を学生みんなで考える。」

ことだと解釈しました。しかもはちゃめちゃに。はちゃめちゃっていうのはみんなが前のめりな姿勢で考え語り合い、喧々諤々な様だと想像しました。

そして私達には、WSの観察を行いテーマとWSの進行を比較し、問いを立てる役割が求められているのだと考えました。

 

そこでまず考えたのが、記録の目的についてです。

目的とは・・・誰の?何のための?どんな時の?

一言では定義できず、時と場合によって多種多様な目的があると気がつきます。

今回参加する三大学にもそれぞれ目的があると考えました。

そして記録の目的を意識せずRTDを作った場合、技術の習得だけで終わり、これが何のためにどのように活用されるのか、という問いが立てられないままにWSが終わってしまうのではないか、と少し怖くなりました。

これは私達の実体験から想像したことです。

ざっくり言うと、常葉大学のように手法として確立させるまでの試行錯誤を体験していないので、記録の目的を考えるタイミングのないまま小手先の真似事になった。という経験をしたのです。

私達がグラフィックレコーディングから観察に辿り着くまでの経緯を書いた記事はこちらです。

nn-ari.hatenablog.com

なのでRTDを作る前にまずそれぞれの記録の目的を考える・共有することが必要ではないかと考えました。

九産大のみなさんは経済学部です。芸術系の学生とは記録に求めていることも微妙に違うだろうし、語り合えばきっと新しい視点が得られる!と思っていました。

 情報交換とか発表、話し合いメインの「記録について考える場」ができれば最高!

 

このこと伝えたいな!

できれば企画の部分からみんなで考えればいいじゃない!?ということで三大学でスカイプ会議をしました。

当時の本音を言うと、常葉にはもうちょっと他大学を頼って欲しいし、九産大には企画の部分から関わって欲しいと思っていました。

他流試合というくらいなのだから、

常葉→九産大 ちょっと離れて成安。

にならず、

常葉⇄九産大⇄成安

のような構図で進めていきたいと考えていた。

でも、伝えたい余りに失礼なこととか言ってしまってちょっと成安暴走気味に。結局思いも全然伝えられず。

もやもやしたまま成安の大草先生とお話ししていると、あれ、自分達もしかして人のこと考えているつもりですごい押し付けがましいかも、と気がついた。

学生だけで企画を任され、責任感とプレッシャーの中一生懸命準備してくれている常葉に対して、余りにリスペクトがなさ過ぎた。

反省し、三大学話し合い後は静かにすることにしました・・・。

手法より翌日フォーラムの場でRTDに求められていることとか九産大のことを考えようよ!と伝えたかったはずなのに、その本人達が現実的でない理想を押し付けていた。反省。(その後ずっとすみません・・・となっていたけど福士さんの神対応に救われました笑)

  

でも恐らく、話し合いで良いこともありました!

三大学で話し合うことで、事例紹介は各大学それぞれ行おうと決まったり、翌日フォーラムでのRTDは、実はかなりハードル高いだとかを共有でき、WSへの心の準備ができたのではないでしょうか・・・?

「あれ?もしかしてこれ普通のWSみたいに話聞いてなんとなくやってみる、だけだとやばいんじゃね?」と思ってもらえるきっかけができたのではないでしょうか。どうでしょうか。

暴走してはしまったけど、話し合いによって意識は

常葉⇄九産大⇄成安

の構図に変化できたと思う。

 

そしてWS後

成安の唯一の役割だ!と勝手に思っていた

「記録の目的についてみんなで考えるきっかけ作り」

が実現できず、すごく恥ずかしい気持ちでした。

結局常葉と九産大の周りで騒いでいただけな気が。

私が自分に役立たず感を感じていたのは、

最終的にはWSが、成安が最初にイメージしていた構成に近寄った。けど、

その変化が、私達によってではなく、浅野先生の当日の指導によって起こったから。

私達が(話し合い中失礼なこともたくさん言ってしまったけど、それでも)なんとかしてみんなで考えたかった根本のテーマの部分、「記録の目的」について最後まで他大学にほとんどアピールできなかった。0ではないかもしれないけど。

それが先生の発した言葉だと、あっという間に理解してもらえていました。

 実績とか説得力とか語彙力とか色々乏しすぎて。恥

 

この記事を書きながらメッセンジャーグループを見返していると、森田先生のこんな言葉が。

「成安造形大学の皆さんも加わって良い感じの混沌が生まれてきていますね」

混沌には確かになっていた(良くも悪くも)・・・という点では成功?

当日は何もできなかったけど、WS前の企画期間には、全てに対して「本当にそれでいいのか?」という視点で見る「10番目の男」の役割は果たしていた。と思う。

 

その後、浅野先生に成安の存在意義はなんだったのか確認させて頂きました。

「真剣に観察している目があるだけで場が引き締まる」

そっかあ~・・・そうなのかなあ・・・?

リフレクションシートも書いてもらったけれど、それを分析してアウトプットにするノウハウがないから、本当に観察しただけ、書いてもらうだけになってしまったけれど。

 九産大の人達は「この人達、何しにここにいるの?」と思っただろうな。

まず、観察の目的すらもきちんと説明できなかったのはいけなかった。観察の意義、目的はもっと言語化するよう心掛けます。自分達のためにも。

浅野先生「外に出て何かをした時、その跳ね返りで自分達に何が足りないか気づく。」

まさにこれで、私達の観察がまだ結果としては全然形になっておらず、影響力のないものだと気がつきました。

関西に戻っても、何かしらの場に出て観察を練習し続けたいと思いました。学校に籠っちゃいけない。

それとUXフォーラムでの観察は、実は浅野先生のご厚意で急遽トライさせて頂いたのです。

参加者の皆さんの記録を観察し、そこから発見したことを最後に発表させて頂きました。

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発表内容をまとめてくださったツイートがあったので、載せさせて頂きます。

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初めて間もない私達に貴重な機会を与えてくださり、ありがとうございました。

 

最後に

WSもフォーラムももちろんなのですが、個人的にはそれ以外の時間もすごく貴重な体験でした!

九産大のみなさんにはほんっとうにたくさん面倒を見て頂いて、寮でのあれこれとか、門限ギリギリなのに私達のわがままに付き合って屋台の長浜ラーメンに連れて行ってくれたり、コンビニで当たったお菓子くれたり、感謝しきれません。

みんな喋りやすくて、ちょっと話すだけでもどんどん議論が盛り上がるし、すごく良い雰囲気を作ってくれていたと思いました。

半分寝ていたけど夜中に寮の談話室で語り合うのもワクワクした。

常葉のお2人には改めてそのスキルの高さを見せてもらい感動。頭で理解するのと実際にできるのとは天と地の差だと改めて実感しました。3日目は一緒に福岡観光も出来て、超良い思い出になりました!(広沢さんだけ先に帰らなきゃいけなかったのは残念・・・)太宰府天満宮に向かう長いバス時間の中で、普段できないようなお話をたくさんできたのがとても印象に残っています。

色んな土地にパワフルな学生がいると実際に分かると、いいな!私も頑張ろう!と思えます。

後輩達にはここでできた縁を大切にして欲しいな~と思います。

めちゃくちゃ長文になってしまい今数えたら6000字くらいありました。申し訳ありません。

それくらい濃厚な3日間でした。

関わってくださった、先生方、学生の皆さん、ありがとうございました。

UX SHIGA#04

今回はカスタマージャーニーマップ(CJM)についての講座です。

予定していたエスノグラフィーは堅田の街が田舎で人がいなさ過ぎて中止になりました。(滋賀~)

質的調査についての講義を受けた後、各チームでCJMの制作に入っていきます。

 

講義の話

質的調査には人を見る力が必要不可欠。

そしてその力は技術ではない。人間力だ。

いざ人を見ようとしても、そもそも相手に興味がないと見る気になれない。

その興味っていうのは、普段からなぜなぜ?と物事に関心を持っていないと湧かないもの。

関心を持つひっかかりを作るのは、日々学んでいること体験していること、そしてそこから考えたこと。

若いうちから色んな経験しといたほうがいい、とかよく言われますが、その意味が分かってきました。

人間力とは、知識だけでなく経験・いろんな人の価値観・考え方を取り入れ、物事を豊かに捉える力だと思いました。

根底には好奇心があると思います。

だから技術にあまり囚われない方がいい、と浅野先生は話されました。

 

リベラルアーツという考え方があります。

 

リベラル・アーツ - Wikipedia

原義は「人を自由にする学問」であり、それを学ぶことで一般教養が身に付くもののことであり、こうした考え方の定義としての起源は古代ギリシアにまで遡る。

 

 「困難な課題に取り組むことによって、人間性を高めること」先生はこう表現されました。

CJMだっていつかは廃れる。大切なのは、CJMを通して人間性を高められるかどうか。

今回の講義はなんだかいつもより言葉に力が入っているように感じました。(私だけ?)

これからWSに入っていく参加者の皆さんに、浅野先生はそんな気持ちで挑んでもらいたいのだと感じました。

 

WSの話

参考:去年UX KYOTOで体験したCJM制作の記事です

nn-ari.hatenablog.com

 

「最悪の旅」をテーマにチーム内でインタビューを行い、リードユーザーを決め、その人の旅のCJMを作っていきます。

今回は去年と違う手順で進めます。インタビュー後のペルソナやステークホルダーマップなどは制作しませんでした。

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 タッチポイントを先に書き出してから、思考や発話を書き出し貼っていきます。

先生は 「カードソートじゃないからね、タッチポイントだけを書き出してくださいよ、それ以外のことは要求していません」

と仰っていましたが、

 参加者の皆さんはインタビューした内容を全て書き出し並べていました。(思考や発話も混ざっている状態)

それを見て何か違和感を感じつつも、どういった情報をピックアップしてタッチポイントにすればいいのか分からずモヤモヤ。

 

先生の 「旅とその人の出会いを書いてくださいよ!」という言葉で、旅もサービスだ!サービスと人の出会いを書きだすんだ!とハッとする。

インタビューした内容を「誰のなんのためのサービス」と言い換えられるくらいの理解がないと、混乱が起こるのだと思いました。

 

インタビューの時の先生の言葉

「アウトプットを知らないと何聞いていいか分からないからインタビューがうまくならない」

これはCJM作りの最中にも言えると思います。アウトプットの形も分からないし、旅ってつまりサービスだ!という意識がないままだと、どこに着目して作ればいいのか分からない。

作業しながらそこまで頭働かせるのはかなりハード・・・だからこそ「全てのものはサービスだ」という感覚が身についていることが大切。

 

観察の話

参加者のほとんどの方がかなりモヤっとして終わられたのでないでしょうか。

観察している側も同じで、これだ!という成功パターンは見つけられず・・・

 研究会員の荒木さんが言っていた

「観察していたら、どのチームもみんな同じ感じの動きをしていて、全体が一つの塊に見えた」

という言葉が印象的でした。みんなが悩んでいた雰囲気。

先ほども書きましたが、それくらい今回のWSはハードモードだったんだと思います。

なるほどこういうことなのか!って納得感は少なかったように思います。

でも、だからこそリフレクションが活きる回だな、とも思いました。

今回はワーク中、参加者の皆さんに話しかけづらい雰囲気があって(CJMに必死で大変そうで・・・! )、

今どういうことをしているのですか?なぜですか?と質問するタイミングがありませんでした。

なので参加者の皆さんがどこで悩んでいるのか、ほとんど把握できていまません。

だからいつも以上に、ブログなりFacebookなりリフレクションして頂いて、心のうちが知りたいなと思いました。

 

でもそれにしたって、いつもより発見が少なかった!と私は個人的に思っていました。

1つ心当たることがあります。今回観察を行った研究会員は4人で、いつもより少なかったのです。

今までは5~6 人で6チームをウロウロしていたのですが今回は4人。

1人あたりの観察する人数が増え、観察しきれず、見損ねた行動や発言がたくさんあったのかもしれません。

そこで先生が兼ねてから言ってくださっていた

「誰か1人についてその人をずっと見るんだよ、その人がどう変化していくかを見ていく。」

という言葉を思い出します。

 全体を見たとしても浅くしか見れていなかったら、分かりやすいことしか発見できない。

1人や1チームをじっくり観察した方が、深い洞察ができていいのかもしれない。

多分分かりやすい発見は前回前々回くらいで発見し終わっていたので、もう何を見たらいいのか分からなくなっていたんだと思います、私は。

更に細かい部分を見ていきたかったけど、人数も足りず表面的な観察しかできなかったことに違和感を感じていた?

 

そして成功パターン&失敗パターンをどう全体へ共有すればいいのか。これもまだ疑問です。

前回は後日Facebookにまとめてアップしたけれど、果たして意味ある活動だったのでしょうか・・・

成功パターンはワーク中に知りたいような。でも終わってからじゃないと成功かどうかって分からないし・・・

じゃあ、ワーク中に成功パターンを提示できなくても、成功パターンになるきっかけを散りばめられないだろうか。

それは例えば10番目の男(ユダヤの教え:予定調和が起こらないようにするため、必ず全てに否定的なことを言う人)の役割のように。

チームを主観から客観に引っ張り、自分達が今やっていることを冷静に見つめ、落とし穴(思い込みや予定調和)に気がつくためのきっかけを作る。

チームに必ず10番目がいることで、落とし穴にはまらない(=成功パターンになる)きっかけができる。

そして10番目の否定に対してどう対応したのかで成功パターンと失敗パターンが比較できるようになる。

そもそもWSの成功って何?って定義が曖昧ですが・・・!

(個人的にはなぜ?の気持ちを強く持てた場合が成功かなと思っています)

次回最終回に向けて作戦を練らないといけません。

 

振り返り会の話

情報デザイン研究会では「参加者の人が何を考えているのか知りたい!」ということでリフレクションシートを作り実施していました。

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ですが紙面での質問には限界があって、もっと深くインタビューしたいよねという話になりました。

なので今回は更に発展し、懇親会も振り返り会と名を改め、そこでぶっちゃけた話を聞こう、という企画を行いました。

準備の時に大切だよねと話していたのは、参加者の皆さんと仲良くなること。

今までもWS中にインタビューしていたけれど、それって本当に思ってることなの?

なんか表面上のキレイな言葉で返されているな~と感じることがありました。

そこを越えて本音を聞き出すためには、相手の懐に入るしかない。

そこで振り返り会では冒頭で学生と社会人ペアになってもらい、他己紹介を行うアイスブレイク(今更笑)を行いました。

社会人を学生が紹介します。テーマは「仕事で失敗してよかったなと思う体験」です。

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目的は

・社会人と学生に打ち解けてもらう(学びに雰囲気って大切だから)

・「WSの話」で盛り上がりたい(この場をリフレクションの場にしたい)

・自身の失敗は成功の元エピソードを出してもらう(それもリフレクションですよね?という問いかけ)

 

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ラポール(信頼関係)を築きたかったのだと思います。(先生が偶然話されていて驚きました)

 

アイスブレイク後の人の動きを観察していると、ペアになったのが良かったのか、社会人と学生が混ざり合ってお話ししていました。

・社会人と学生に打ち解けてもらう

これはうまくいったかなと思っています。

 

・「WSの話」で盛り上がりたい

これについては、参加者の方々に記入してもらったリフレクションシートをプリントアウトし、配布しました。

手元でみんなのリフレクションを見ながら指差しして話せば、自然とWSのリフレクションが行われるかなと。

不安だったのが、軽食を食べながらの会話になるのでリフレクションシートは小脇に抱えられてしまうのではないか、ということ。笑

案の定小脇に抱えたりテーブルに置かれてしまったので、配布する必要はないかなと思いました。研究会員が持ってさえいれば大丈夫そう。

 

研究会員はリフレクションシートを持ち歩き質問して回りました。

ですがシートを読み込む時間がないまま振り返り会に入るので、あまりWSについての質問はできず、

準備していた別の質問ばかりしてしまいました。(なんでFacebookでコメントくれないの、とか笑)

ぶっちゃけた質問もさせていただいたので、ラポールは少し生まれたかもしれません。

ただ、WSをすぐにリフレクションするのはなかなか難しいと思いました。やっぱりもう少し人数がいないと厳しいのかも。

誰か研究会入ってください!

 

・自身の失敗は成功の元エピソードを出してもらう

これについては意図がうまく伝わったのか謎です。笑

全然うまく喋れなかった~~~

 

次回は最終回。最終回のその先は?をみんなが考えられるきっかけができたらいいな。

 

思ったこと

講評の時、私は自分がそこまで深い思考とか価値を意識しながら生活していないことに気がつきました。

例えば「ちょっとめんどくさい」という気持ちには

「疲れていてそんな気分になれない」とか

「機嫌が悪い」とか

「もうちょっとだらだらしていたい」

「他に優先させるべきことがある」とか、

色んな背景があると思います。でもその背景まで普段は考えません。

普通の人なら別に良いとして、見る、分析する側はそうじゃだめだなと思いました。

普段からそういう視点で見る癖がついていないと、WSで突然見てください!と言われても不可能。

WSを完璧にこなそうとするより、普段の日常を見直すべきだなと思いました。本番は日常!

 

UXを学びたくてこの講座に参加していますが、回数を重ねるごとにこれはまだ学びの入り口に過ぎない・・・という気持ちが強くなっていきます。

答えを求めて開いたカーテンの向こう側に次のカーテンがある感じ。

研究会員の岸本さんがブログに書いていた中国人の話、私も一緒に聞いていたのですが、

原因への解決法を見つけた!と思って満足して、その原因が起きた原因(なんで中国人は騒がしいの?)ってとこまでは普通考えない。

先生に言われ「そこを考えるのか!」とハッとした瞬間の鳥肌。

「分かったつもり」の背後にはまだまだ知らないことがたくさんあって、それを見るための視点を手に入れた瞬間の鳥肌なんだと思います。

果てしないです。でも楽しい。今は学生が好きでやってるから楽しいんだろうけど、

来年社会人になった時どうなるのだろう。この感覚を持ちながら働くってどういうことなんだろう。

って最近ちょっと不安になります。おわり。

UX SHIGA #03

10月12日に行われた成安造形大学公開講座 UX SHIGA #03に、情報デザイン研究会として参加しました。

 

今回は前回からの続き、観察の記述です。

前回のオブザベーションで発見した問題点に合ったペルソナを立て、9コマシナリオを作成していきます。

 

私はまたワークショップの観察者として参加しました。

 

観察者としての振り返り

 

まず振り返りを書くのが出遅れてしまったことから書きたいと思います。

ブログを書きたくなくて書きたくなくて、ワークショップからもう一週間経ちそうです。

前回は気付いたことがたくさんあって早く文章にしたかったから、ブログを書くのが苦ではありませんでした。

でも今回はなんだかどうしても気が乗らなくて、途中研究会のメンバーと話し合ったりもするんだけど、どうも自分の中がぼんやりしたままでした。

多分そのぼんやりが私の「ブログ書きたくない病」の原因なのだけど・・・。

一体何がぼんやりなのだろう。

それをずっと考えていました。前回はそんなことなかったのに・・・

そこで前回の自分と今回の自分の何が違うのか比較してみようと思いました。

 

前回の私

・「観察する」とはどういうことか、感覚を掴もうと必死。超集中。

・ワークショップの中で起きていること、先生の言葉、全てに関係性を見出そう(自分なりの仮説を立てよう)という態度で観察していた。

 

今回の私

・前回のブログを先生にちょっと褒められ油断していた状態。「前回できたから今回もうまく観察出来るはず!」

・自分を過信したことで、各チームの観察時、自分がただ見て記録しているだけの状態に陥っていることに気が付かなかった。

 

前回の私と今回の私、比較して分かったことは「できた『つもり』になっているかいないか」でした。

 

今思い返すと、これを象徴する瞬間があったように感じます。

そもそも今回の課題は

 

「SHIGA食品」は、コンビニに置くゼリーの新パッケージを開発しようと考えた。

今回は行動観察から、ユーザーに新しい経験を与えるような斬新なパッケージを提案しなさい。

 

というものだったのですが、終盤あるチームがペルソナにこだわりパッケージを全く考えていない、という状況になったのです。

その時私は会場全体を見て回っていて、他のチームはみんなパッケージの話をしている事に気付いていました。

そして「みんなと違う動きのチーム=間違えているチーム」と考え、このチームも早くパッケージを考えるべきじゃないか・・・という目で見ていました。(この時まだ観察できてる気満々)

でも途中浅野先生が「パッケージ作らないでくださいよ!」とアナウンスされました。

あれ?だけど先生、課題に「パッケージを提案しなさい」って書いてあるじゃないですか・・・と私質問。

「そんなのひっかけに決ってんじゃん」と浅野先生。(ニヤリと笑いながら)

 

そっかーーー!!

 

ここでやっと、今回の連続講座の目的を思い出しました。

私達は、UXを学びに来ているのだった。モノではなくコトを見るためにはどうしたらいいのかを学びに来ているのだった。

その意識を持たずに課題に向き合ったから、私はいつの間にかモノを見始めていたのだった。

きちんとコトを見る意識があれば、会場全体がパッケージの形について話し始めた時にきちんと疑問を持てたはずだった。

 

まとめると今回の私は、「できたつもり」によって思考停止になり、課題が出されている意味に対して問いを立てずに観察を行ってしまった。

それにより、観察から得た気づきが少なく、終わった後ぼんやりしてしまった。

 

この経験から・・・慢心は怖いなと感じました。

今自分は物事を正しく見ているか?不安だからその不安を埋めるために、注意深く思いを巡らせる。

このような謙虚というかちょっと不安な気持ちが、観察には向いているのかもしれないと思いました。

 

ベルソナについて

 

とりあえずどこまで分かっているか確認のため、ペルソナを立てる意味について自分の言葉で書いてみます。

最大公約数にすっぽり収まるペルソナはだめで、ちょっとだけ被ってるペルソナにする。

なぜなら私達はユーザーの体験をより良くしたいから。そして体験(ストーリー)は人の数だけあるので、手段(ゼリー)は同じでもその人の趣味嗜好によってゴールへの筋道は変わるから。

それぞれ違うストーリーの人達みーんな幸せにしたい!からスタートすると、全部は見れないし、誰のどこをピックアップするのかでカオスになる。

だからとりあえず特定の誰かにクローズアップするけれど、その人のストーリーが「あるある〜」って思えるものだったら、それって他の人のストーリーにも転用できそう。

ニッチなサービスを考えるときは「あるある〜」じゃなくていいのかな。

 

そして観察していて思ったのは、普段から人を見ていないとそもそもペルソナは作れないのかもということ。

浅野先生は「前回発見した問題点に当てはまる人を、ペルソナに選んでください。」と仰っていたけれど、記憶の中の「人間観察記録」が膨大でないとそれってスッとは出てこない気がする・・・!

チームの皆さんが悩んでいたのもすごく分かる気がした。

自分の中の「人間観察記録」のバリエーションが少ないと、参考にするもの自分の経験くらいしかないから、結局主観になってしまうのだなぁ。

 

その後・・・大学近くの駅でも観察について考えていました。

確かに実は人のことってそんなに見てないな・・・

そう思い目の前にいる作業員のおじさんを観察してみた。

 

脛に何か防護カバーみたいなものを付けている。

よく見ると他の作業員のおじさん達も全員脛カバーを付けている。

おじさん達は線路の下に降りていき、作業を始めた。そこにはバラスト(砂利)が斜めに盛られ坂になっていて、おじさん達はその前に立っている状態。立っているというか前向きに坂にもたれかかっている感じでなにやら作業をしている。

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坂にもたれかかると、脛にバラストが当たるんじゃないかしら・・・だから脛カバーを?

 

というのが私の仮説です。

(直接話しかけ確認する勇気は出ず、まだまだ観察者への道のりは長いと思いました。)

 

まぁだから何?っていう脛カバーの話なのですが・・・

その時は役に立たなくても、人に対しての「どうして?」を常日頃意識し続けることが大切だと思えるようになった、ということなのです。

観察を続けて、たくさんの人間観察記録を集める必要がある。(マイレージを貯める)データが豊富だと、洞察もたくさんできる。(マイレージをどこで使うか考える)

 

研究会として

 

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ワークショップが始まってすぐ、立ち上がる人がたくさんいた。

前回の学生がうろうろしているのが影響したのだろうか・・・!

自分達のパネルを見に行ったり、他のチームの偵察に行ったりしていた。

そうして最初が活発だった分、後半行き詰まって席で話し込むチームが出た時にとても目立った。行動が、チームが順調か否かを見分けるヒントになっていた。

私達観察者はその行動を見られるけど、本人達にも後で見て知ってもらいたいね、という話が出た。

次回は特徴的な行動の瞬間を写真に撮って、最後に共有できるようにしてみたい。

 

研究会メンバーも前回より積極的に質問をしていた。

質問が浮かぶってことは、知りたいことがある、つまり問いを立てながら取り組めている証拠だ!と思って嬉しくなった。

ただ参加者の方から

「いろんな人に何度も同じ質問をされた」

というお話を伺った。

「そんなに何度も同じこと聞かれるってことは、私達変なことしてるのかな?と考えるきっかけになった。」

と言ってはくださったけど、質問攻めで作業の邪魔をしないように気をつけたい。

 

 

 

少しずつメンバーの「洞察する力」がついてきて、

前回書いた

 

現状から何を見つけ考えたのか、まずはそれから。そうすれば、自然と自分達が何をしたいか(目的)が明確になるはず。

私達がすべきことを見つけたい!

 

の部分がはっきりし始めています。

私達は参加者のみなさんとこうなりたい!という気持ちが生まれています。

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今回行った新しい形のアンケートもその1つです。

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懇親会時ちょっとした発表にチャレンジさせていただきましたが、改良の余地たくさんありました・・・!

現在さらなる振り返りの仕組みをみんなで考えています。

facebookに投稿する予定なので、今しばらくお待ちいただけたら幸いです。

 

 

とりとめもなく書いてしまいました。以上UX SHIGA#03の振り返りです。

浅野先生、皆様いつもありがとうございます。

 

UX SHIGA #02

 前回に引き続き成安造形大学で行われた公開講座UX SHIGA #02に参加したので、振り返りを書きます。

 #02はオブザベーション(観察法)。チームに分かれゼリーを食べる人の観察を行いました。

去年UX KYOTOではカップ焼きそば

nn-ari.hatenablog.com

で体験したことがあります。ワークショップの主な流れはこちらと同じです。

 

今回私は研究会のメンバーと共に「観察する人を観察する人」という第三者として、ワークショップ全体を観察させていただきました。

 

前回、チームを観察する目的の1つ

「成功するパターンを見つけること」

浅野先生に教えていただきました。

 

なので今回は会場をうろつきチーム全体を見て回り、各チームの変わった行動をチェックし、進捗具合と照らし合わせながら観察しました。

 

気づいたこと

 

個人で分担して進めるチームより、録画画面を共有してみんなで進めるチームの方が進めやすそう。

 

グループには大きく分けて2つの傾向があったように感じました。

・個人でグループ

・みんなでグループ

なので、まずはどちらの方がオブザベーションに適しているのかなと考えてみることにしました。

ワークの最中、実際の現場ではどのようにオブザベーションが行われているのか先生に伺いました。1人の人が録画を見て黙々と作業ステップと発話を書き込んでいくそうです。

実際の現場では1人でやるのか。それなら各個人で分担して進めてるチームがやりやすいのかもしれないな、と思いました。

一方みんなでチームは、観察後のオブザベーションシート作成時、盛り上がってはいるのですがついついモノ(パッケージ)の改善話に脱線しているように見えました。

 

でも実際ワークが進んでいくにつれ、個人チームにはなかなか手が進んでいない様子が伺えました。

話を聞いてみると、

「自分のメモしていた作業ステップと他の人がメモした発話の分量が合わなくて、まずそれをどうにかしなきゃと・・・」

今回録画用のiPadが各チーム1台配布されたのですが、このチームは個人でシート記入を行っているので、実際の現場では動画を見ながら書き込むところを、記憶をさかのぼりながら書いていました。

思い出せない部分を見ようとしてもiPadを順番に回し見なきゃで、なかなか大変そう。

その作業に追われたのか発見や気になった行動について書き込む欄はあまり埋まっていないようでした。

一方みんなでチームは、話はたまに脱線しつつも動画を見て確認し合いながらシートに記入、新しい発見も随時話し合って記入していました。

それによって、最初はスカスカだったオブザベーションシートに情報がぎっちり書き込まれていました。

私の予想は外れ。いくら実際の現場では1人で行う作業とはいえ、初めての手法はみんなで意見交換しながら進めていくのがいいのだと気がつきました。

また、個人チームはシートを仕上げる10分前に「動画見ながら検証しましょうか」という発言がありました。

私的には(他のチームは最初からそのやり方だったのに気づくの遅くて勿体無い・・・!)という気持ちに。

そして前回のマシュマロチャレンジの時先生が「他のチームも見て回っていい」と仰っていたことを思い出しました。

自分達のチームがよりやりやすく(発達)するために、他チーム(他者)からヒントをもらう。ワークショップの参加者は、同時に他チームの観察者でもあるといいのかなと感じました。

(もちろんこのチームが失敗とかそんなわけではありませんすみません!プレゼンの時は素晴らしい発表でしたし私が個人的に感じたことです!)

 

発話を制するチームは問題発見を制す

 

上位下位関係分析法の制作に入ると、各チーム問題を見つけるのに手こずっていたように感じました。

どうしてもモノの問題解決をしてしまったり、主観できっとこうだろうと決めてしまったり。でも確かにどうやってこれは問題だ!って判断すればいいんだろう。

この時あるチームの発言カードに目がいきました。

このチームはカードの色分けがきちんと統一してあり、更に発言のカードには吹き出しが書かれ、差別化してありました。しかも発言の量も多い。

元々先生がいい進め方をしていると仰っていたチームだったので、何か意図を感じるぞとジロジロ観察していました。

そんな私の横で、先生が研究会のメンバーに「問題として挙げる時、事象に関わった発言が無いとダメ。これが問題の原因になるから。」と話されているのを耳にしました。

なるほどこのチームはきっとそれが分かっているんだ!?

そこでチームの人にどのように問題を挙げているのかインタビューしたところ

 

1人のメンバーが「これが問題じゃない?」とカードを上に上げるけど、他のメンバーが発言カードを指しながら「この発言があるから」違うのでは」と指摘しまた下ろす感じでやっています。

 

とのこと。

チーム全員が発言カードを見ながら話し合うことで、自然とモノでなくヒトを見て、原因に基づいた問題を探していました。

このチームは作業の進め方も全体が見えるように進めていて、恐らく今作っているカード達がどのように繋がっていくのか想像しながら作業されていたのではと思いました。とりあえず作業ステップカードを作って、じゃあ次は事象を作って・・・と進めると、一つ一つの作業が繋がらず、今やっていることの意味を考えるタイミングも無くなるかもなと思いました。

これ、あれに似ていると感じました。

前回グラレコにチャレンジした時、目の前の情報の記録に必死で自分なりに考えることは全くできていなかった状態!

「手を動かすことが大事」とはよく言いますが、それは同時に頭も動かしてる前提の言葉なのだと知りました・・・!

実際今回の観察では全てを記録したわけではないですが、自分が気になったところはその場で考え人に聞いていたので、全部記録していなくても前回のグラレコより理解は100倍くらい深まりました。

それと私が参加者にインタビューするのって上位下位関係分析法で発話=原因であることと同じで、分からなかったらその場で聞いちゃうのが早いなって思いました。

 

 

 

 

そもそもなんで今回は観察者として参加したのか

 

「手法の前に態度を身につける」

 

今回は講座の前に情報デザイン研究会のメンバーと浅野先生とでお話する機会がありました。

先生には

「自分達できちんとした理解も深められていないのに『グラレコを振り返りに役立たせたい』とかは無理があるよ。」

とご指摘が。

 

はっきりしなくてモヤモヤしていた部分を言葉で指摘して頂いてハッとした。

 

前回のブログには「グラレコをする目的が曖昧だった」と書いたけれど、そもそも私達は目的が曖昧なんじゃなくて、目的がよく分からない。

それは私達に現状から何を感じて考えてだからこうしたい!という部分が無いから。

無いっていうか、多分やり方を知らない。だからすぐ取り組み始められる手法に頼ったんだろうなぁ。

 

そしてグラレコという手法を目的にすり替えてやってきたけど、ワークショップでそれがダメだということが分かって。

そもそも先人が作り上げてきたRTDやグラレコのフォーマットはそれに至るまでのプロセスに価値があったのに、それの真似事はただ模倣が上手なだけ〜・・・。

 

現状から何を見つけ考えたのか、まずはそれから。そうすれば、自然と自分達が何をしたいか(目的)が明確になるはず。

私達がすべきことを見つけたい!

 

でも、どうやって?

それはやはり、態度によって身につく。

前回の講義にもあったように、「これをすれば◯◯ができるようになる」なんてことは存在しない。それは単なるスキル学習で、それを踏まえ試行錯誤を繰り返し続ける態度を取り続けてこそ。

何で?と感じる力、どうにか知ろうとあの手この手を使ってみる力、よく見る力、よく聞く力、話す力、豊富な経験・・・。

 

つまり私達が今すべきことは、たくさん見て聞いていろんなことを考え気づく「態度」を身につけること。

という経緯があって、今回ひたすら観察者になったのでした。

 

先生のワークショップ中の言葉

「モノゴトは細かく分けて分解すると問題が分かる。大きくざっくり解釈すると見つけられなくなる。」

 

先生はゼリーの観察の時に仰ったけど、私達の事でもある。

まさに今はざっくりとしかモノゴトを捉えられない。前まではそれが普通だと思っていたし。

でも今回のワークショップ中、意識的に自分なりの仮説を立てたり人と話したり質問することで、なんとなく分かったつもりだったことの先にさらなる疑問が生まれて、発見もたくさんあって忙しかった。

今まで参加してきたワークショップの時とは違う、なんていうか、その場で情報が更新されてどんどん気になることが増えてくる新しい感覚になった。

オブザベーションをやるのも2回目だけど入ってくる情報がめちゃくちゃ増えた。

自分の態度一つでこうも変わるのかと驚いた・・・。

今回の態度を意識した観察で、少しだけモノゴトを分解して捉える感覚というのが身につきました。1人で講義聞いてるだけだとモノゴトの分解はできないなと思いました。

 

あと、話はちょっと変わりますが、観察者の私達が会場をウロウロしてたことで少しはいいことがあったんじゃないかな・・・!?と思った話を。

今回研究会メンバーの中には、

・観察者として

・参加者として

の2パターンの参加者がいました。

観察者と参加者、立場は違えど普段は同じ研究会のメンバーなので、観察者がウロウロしているのにつられて参加者も自然と他チームの偵察に行きインタビューしていたり、観察者と参加者が「先生からこんな話を聞いてきた」などリアルタイムで情報交換を行いチームにフィードバックするなどの状態が起きていました。

 第三者がチーム間をウロウロ喋って回ることで、みんなにも「ウロウロしていいんだ感」を生んでいた・・・?

正直ここまでいうのは言い過ぎおこがましいですね!

ただ、分からなかったら「こうですか?」と聞きに行く態度、今どうやって進めてますか?とインタビューする態度が全体にあったように感じたのです。

前回と比べてみんな積極的だった気がするし、私自身もたくさん人と話したし、

そもそもそういう会話が生まれるということ自体、一人一人の中に「なんで?知りたい!」という気持ちがあったことの表れだと私は感じました。受動的ではなく能動的な感じ。

それはウロウロのせいではないかもしれないけど、私はすごくいい雰囲気に感じました。

 

 

 

今回が発達のための態度を身につけるスタートラインだと思っています。

今少し掴んだこの感覚を忘れないように、常に意識し続ける。

シンキングマラソン、考え続けるから忘れない。

 

そのためにも次回はもっと早くブログ書くように心がけます。

先生、今回もありがとうございました。

UX SHIGA#01

成安造形大学で開講された公開講座、UX SHIGA(全5回シリーズ)を受講したのでその振り返りを書きます。

講師はおなじみの浅野先生です。

 

浅野先生に繰り返し言われている「ものごとは3つに分けてまとめなさい」に沿って、今回学んだことを3つにまとめてみました。

 

学んだこと3つ

・「ユーザビリティ→UX」の変化は、「モノ発想→サービス発想」の変化。

・発達するための態度とは、人と共に学ぶこと。

・HCD=発達(なのではないだろうか)。

 

 

・「ユーザビリティ→UXの変化」は、「モノ発想→サービス発想」の変化。

ユーザビリティという考え方がより進化?したものがUXだと解釈していましたが実は違いました。

ユーザビリティの概念が発生するのはモノありきの場合で、モノをより良くしていた先にユーザーの幸せがあるという考え方です。一方UX(ユーザー体験)の概念はユーザーにどんな体験をさせたいかという発想がまず初めにあって、それを叶えるために手段としてモノやサービスがあります。

そもそもこの2つは発想のスタート地点が違うのだということが分かりました。

 

 

・発達するための態度とは、人と共に学ぶこと。

まず、学びには2種類あることを理解しました。

「スキル学習」と「発達」の2つです。

 

「スキル学習」とは行動の基準となる学問・常識を身につける学習です。つまり先人の知恵、公式(ベストプラクティス)を頭に入れる行為です。習うと分かっちゃう世界。

 

「発達」とは背景の深い理解・新しく変化するものを知るため学習です。こちらはより本質的な理解を得るための行為です。

背景や変化するものを知りたい時、知識だけを詰め込めば簡単に理解できる!という訳にはいきません。

まだ何かよくわからかないことを繰り返し体験し、蓄積し経験に昇華。その経験を多様な観点(ここがスキル学習で得た学問・常識ですね)から振り返り、他の人でも理解できるように概念化する。そして実行する。このプロセスで発達は行われます。

つまり先人の知恵を活かし、自分が次なる先人の知恵(ベストプラクティス)を作るために繰り返しぐるぐる省察することが発達だと言えます。

これはスキル学習のように「この公式を頭に入れればテストで○点」みたいな確約は無くて、何回も問題に向き合い続けるという「態度」です。発達とは、態度。

学びの種類が2つあるというより発達の中にスキル学習が含まれているのをイメージしました。

 

そして発達するためにはグループ活動、人と共に学ぶのがふさわしいと先生は仰いました。

一人でできることには限界があるけれど、他人のちょっとしたアドバイスや指導が入ることで、できることの範囲が広がる時ってありますね。

その差分を「最近接発達領域」と呼びます。人と共に学ぶことは省察する際の知識や視点を広げること。つまり自分1人の限界を突破する=発達することなのだなと思いました。

 

 

・HCD=発達すること(なのではないだろうか)。

まずこの前schooで聞いたCONCENTのサカタさんのお話を書いていいでしょうか。

サカタさんはその講義で「伝える」≠「伝わる」ということを語ってらっしゃいました。

例えば、

相手に好き勝手ぺらぺらしゃべって「伝える」とします。でもこれだと、相手が理解したかどうかは分かりません。

相手が「なるほどね!」と返してくれて初めて「伝わる」になります。

この違いってびっくりするくらい違います。(ぺらぺらしゃべってすっきりすることが目的ならいいとして)そもそも相手に何かしらを届けたいから「伝える」のであって。目的は「伝わる」こと。

そしてこの「伝わるためのしくみを考えること」こそがHCDだとおっしゃっていました。

 

「デザインとは、相手に花束を渡すようなものだ。」−中西 元男さん(PAOSグループ代表)

 

「花束を相手に渡す」この行為の背景には「相手へ自分の気持ちが伝わってほしい」という思いがあります。

そんな時にいかにスムーズに渡すか、花束の空気抵抗を減らすか(笑)、なんて考えていても無駄で、それよりも相手の好きな花はなんだっけ、今日の機嫌は、ロマンチックなのは苦手かな、など相手のことを考えまくります絶対。

「渡す」という手段のことより、「どうやったら気持ちが伝えられるか」という目的のことをたくさん考えます。

そして渡した後相手の反応をうかがって、次回へのチャレンジに活かす。

まさにHCDのプロセスだ!と思いました。

「伝わる」は1か0かみたいな話ではなくてもっと伝えたい、もっとより良く!という世界だと思うので、相手を知り(コンテキスト)、省察し、実行し、評価してもらい、それをぐるぐる続けていくことで高めていく(=発達していく)ものなのだろうなと思いました。

いろんな人と共に取り組むことでたくさんの発見ができ、より良い解決案を見つけられる。&「伝わる」は1人ではできない、相手のフィードバックが必要。

HCDも人と共に行うものなのだと分かりました。

 

先生の講義を聞くのは3回目くらいなのですが、今回は、今まで部分的に理解していたものが繋がって、流れとして理解できたように感じました。

(なぜユーザー特定?コンテキストで見る?の理由に納得がいくなど。)

それこそ今まではスキル学習的に知識でだけ理解してきたものが、何回も講義を受けたりブログで振り返ることで、より深い理解=発達に繋がったのだと感じました。

でもこの記事はまだうまく書ききれていないし、せっかく部活のメンバーも増えたので、引き続きみんなであーだこーだ語り合って理解を深めていこうと思います。

 

そうです部活(情報デザイン研究会)のことですが、実は今回講義とワークショップのグラフィックレコーディングにチャレンジし大失敗しました。

そこで、先生のご指摘と反省会から気づいたことを書きます。

 

目的が甘い

「振り返ってみるために〜」などを目的にしていたけれど、その先の「じゃあ何のために振り返るの?誰が?」というところまでが考えられておらず、謎の情報の塊が出来上がった。

「目の前に一番詳しい人がいるんだから直接聞きなさい」と先生は仰いました。

「常葉の人達は必ず始める前に確認しに来る」確かにいつも皆さんそうしていた。何回もその様子も見ていたはずなのに〜・・・常葉の皆さんの行動の背景を考えずにただ見ていただけだったから、活かせなかったんだろうなぁ・・・。

 

反省して途中から休み時間などに先生に確認していただいた。

もちろん見せられるようなものには仕上がらなかったけれど、自分が解釈したことを外化して先生に読んでもらい、その場でフィードバックを頂けたので、自分の理解を促進することには役立ちました。(ユーザビリティ→UXの変化の話がその例です)外化の大切さを身にしみて感じました。

 

・学生のための易しい言い換えが役割だった?

反省会では、初めて講義を聴く子達が多く、とにかく新しい用語についていくのに必死で内容の理解が追いつかなかった。という声が聞かれた。

例えば学びについての講義の時、「知識・技術」「スキル学習」「シングル・ループラーニング」ここら辺の用語は近い意味?ニュアンス?の言葉だと思うけれど、多分初めて聞く学生には全て別々に聞こえてパニックになっていたと思う。

無理にグラレコはやらず、そういった新しい言葉などを易しく言い換えたり、分かりやすい言葉で統一したメモを貼っておくだけで良かったのかもしれない。

 

・ひとりよがりすぎ

先生に聞きに行かなかったのもそうだし、ワークショップの時に参加者の人に何にも説明しなかったのはいけなかった。終わってからこれは何のためのものなの?とたくさん質問をいただいて、私たちもなんだろう・・・?となって恥ずかしかった。

練習してきたつもりだったけどとにかく形にするっていう手段にばかり執着していて、視野が狭くなっていた。

練習するにしても、もっと先生やいろんな人に見てもらえるようなアウトプットをしていかないといけないと思いました。

 

今回は講座のためではなく私達が色々気づくためのグラレコだったと感じました。

前までの自分だったら自己嫌悪で死にそうになってたと思うのですが、今は「これだとうまくいかない、ということが分かった!」と前向きです。落ち込んでもいるけれど。

部活を始めてからトライ&エラーが日常になってきたので、

失敗→この世の終わり

ではなく

失敗→次への改善のヒント

という発想ができるようになっていたことに気付きました。

成果としてはだめだめだけど、今回のテーマでもあった「態度」という点では成功しているのかもしれない。

情報デザイン研究会の最近

春の新入生勧誘イベントの効果もあり、情報デザイン研究会には今年1・2・3年生合わせて7名が入会してくれました。

4年と合わせて総勢14名になり、やっと研究会らしくなってきたと感じています。

そこで今回は

人数が増えた事」と「後輩ができた事」で起きた変化と、それに伴って進化した練習方法。

について書きたいと思います。

 

「手探りで学ぶ」から「教えながら学ぶ」へ

「人数が増えた事」と「後輩ができた事」によって1番変わったのが学びの姿勢です。

今までは気の知れた少人数の同学年同士で活動していたから 、当日に話し合ってなんとな〜くやることを決め、とりあえず手を動かして、とりあえず色々話し合い、なんとな〜く解散、という流れでした。

まだ手探りの活動だから仕方ないと言ってしまえばそこまでだったのですが、後輩ができてしまうとそうも言っていられません。

私達以上にまだ何も分からない状態の後輩達を手探り状態へ飛び込ませるのはとても不親切。(一体何を教えてあげられるのかって感じだけど)今まで得てきた事を教えてあげたり、勉強に向かい合うきっかけを示してあげるのが先輩の役目だと考えました。

それって例えば具体的な練習方法の確立かもしれない。

教えるにしても何か手を動かしながらその都度、って感じになるだろうし、その手を動かす方法は色々学んできたよね。

そこで毎週行う練習をメニュー化したいと考え、今まで参加してきたワークショップや勉強会でのワークを取り入れるところから始めました。(本当に様々なワークショップを参考にさせていただいています、ありがとうございます。)

そして新聞ビジュアライズも含め、目的に応じた5つの練習方法が確立しました。

 

・プロッキーフォントと簡略化したイラストの練習(見栄えする画面のための道具の使い方)

・単語書き取り(記録スピードアップ)

・プレゼン動画のグラレコ(話の要点を理解してまとめる)

ディスカッションのグラレコ(話の流れをとらえてまとめる)

・新聞ビジュアライズ(ビジュアルの向上)

 

このメニューに沿って練習を行っています。そしてあの時ワークショップで教えて頂いた事を、さも私達が考えたかのように後輩にアドバイスしながら進行していくという。笑

今後変化していくとは思いますが、練習内容がリストアップされていると個人でも練習ができるし、先輩不在時に後輩だけでも取り組めていいなと思っています。

また練習をメニュー化した事で、「人数が増えた事」にも対応できました。

今までの手探りカオス状態は少人数だからこそ成り立ってたわけで、大人数でやると混乱と不信感が増えるだけ。だけどこのメニューさえあれば練習目的がブレないで進行できるしカオスが防げる。

変化してよかった事

・時間を意識するようになった

やるべき事がはっきり&人数が増えたから、時間内に全員が同じところまで到達できるよう、時間配分の工夫を色々しています。例えば今までやってた新聞ビジュアライズを宿題にした事。これはビジュアル向上の練習だから時間短縮は目的としていない。せっかくメンバーが集まってる練習時間にわざわざしなくてもいいかもね。毎回これに結構時間取られてたし、宿題にすれば他の練習にがっつり時間当てられる!となりました。

・程よい緊張感がある

これは後輩はもちろんかもしれないけど、先輩側も同じで緊張しています。しょーもないところを見せるわけにはいかない!という気持ちで常にピシッとメリハリを持って行動できてると思う。ダラダラしなくなったから時間短縮にも繋がってるのかも。

・教える事で気づく事がある

グラレコに対してある程度の前知識がある人(私達)はなんの戸惑いもなくサラッとこなせた事が後輩はなかなかできなかったりして、これってまさに我々の伝達力(図の右)不足なんだと気が付いたり。

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教える事=伝える力

だと感じていて、教える事で自分が学ぶ事も一気に増えてしまってチョットタイヘン・・・! 

変化してちょっと困ってる事

・スケジュール調整

後輩は授業だらけで4年生ほど暇じゃなくて、4年は4年で就職活動で不定期に忙しいしで、現在の水曜昼って練習時間の取り方が適切じゃない気がしている。集まらないわけじゃないけど途中で抜けなきゃいけない子がいたり、予定と人数が変わって練習自体が中途半端に終わったり。

でも人数が多くなって全員が集まる機会が無いし、入会のタイミングもみんなバラバラだったし、どうやって調整すればいいの・・・今後も人数増えそうな気配があるし。

多分、しばらく参加できてなかったらいつの間にかめっちゃ後輩が増えてて、顔出しにくくなったって人もいると思う。

組織としてのまとまりを作っていかねば。」って前に書いたのに〜

みんなに都合よくっていうのは限界があるのも分かってはいるけど、どうやって折り合いをつければいいのか分からず保留中にしてしまっている。

 

・「早く行きたいなら1人で行きなさい。遠くへ行きたいならみんなで行きなさい。」問題

アフリカのことわざなんですね、これって。

めっちゃ好きな言葉なんですけど、この前この言葉の意味を噛みしめる出来事がありまして。

つい最近練習したグラレコをFacebookに上げた時、はこだて未来大学の原田先生にアドバイスを頂きました。(なんてありがたい便利な世の中だろう)

原田先生「全体的に似顔絵に頼りすぎだな。一度、似顔絵禁止でやってみるといい。」

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多分ここら辺の事だと解釈してるんですけど、本当におっしゃる通りだなと見返して思いました。笑

似顔絵も伝わるものだけど、多分情報の構造化にはたどり着けてない。話の内容を解釈して組み立てた情報同士の関係性、それを伝えるための絵じゃないと図解化とは呼べないんですよね。似顔絵の羅列で終わっちゃいけない。

そしてもちろん、「よし、今度はもっと意識して練習するぞ!」と思うんです。でも、それは今まで色んな講義を受けてきた人だけが意識できる事で。

一緒に描いてる後輩はまだ着いて行くのに精一杯だから、まだそんなところまで気が回らない。だから今までの練習内容も超初心者向けで計画してきてたんですね。4年生は後輩のサポートに徹する感じで。

でも今回の先生のアドバイスで、私達は初歩的なところで満足していた部分があったなあと気づかせていただきました。今までせっかく図解化の講義を受けてきたはずなのにっ!

教える事も大切。でも自分達がどんどん上達していく事も大切。1人でぐんぐん先に行っちゃうか、みんなでゆっくり遠くを目指すのか。どっちが正解って話ではないからこそそのバランスって難しいですね。

ぶっちゃけ毎回の練習内容を考えるのってめっちゃ大変で、自主練習にまで手が回っていないのが現状です。だけどやっと練習メニューも決まったし、回数を重ねていくうちに段々やりやすくなっていくのかなーと経過観察しようと思っています。

 

8月は夏休みという事もあり、がっつり練習する機会があと2回取れたので、今回書いた内容を思いめぐらせながら頑張ります!

第54回HCD-Netサロン「図解力アップドリル」

6/22(月)、前日の常葉大学に引き続いて原田先生の「図解力アップドリル」に参加するために、グランフロント大阪へ行きました。

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メモ

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下手でも言い切っちゃえば図になる

まずプロッキーの扱いに慣れながら「描く練習」。単純な図形を使って顔を描く。その下に名前を書けば似顔絵になる。ぐちゃぐちゃなかたまりを描いて、「これは犬です。」と書き添える。するとそれは犬になる!笑

図解力に特別な画力は必要無い。図とは関係性の視覚化なので、関係性が表せてさえいればいい。

 

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次に文章を図解する練習。他の人の図解には発見がたくさん。

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この人の図解がゆるくてかわいくてシンプルで分かりやすくて素敵!

 

そしてチームで新聞記事の図解にチャレンジ。

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ひめゆり学徒隊のおばあさんの、戦争経験者減少に対する不安な思いの記事でした。

 

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私達はおばあちゃんを軸にして

・出来事

・人数

・感情

の3つのタイムラインで表現しました。

もうちょっと「これから先が心配なんだ」という事を盛り込めたらよかったかもしれません。

 

各チームプレゼン。

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一つの記事でこんなに違いが生まれました。着目してる部分も違えば解釈もそれぞれで、作り上げていく最中に

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まさに左図の部分が行われていたように感じました。

 

・絵を理解の手がかりに使う

このように図解にもいろんな種類が生まれるしどれが正しいとかもないので、グラレコで全てを理解しなくてもいい!という考え方。

 

絵で全体を把握して

文字で内容を解釈する

 

グラレコをどううまく描くか!よりもグラレコをどううまく活用するか!の感覚が大切だと感じました。

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2日続けて図解練習ができたので、学んだことを反芻して考えながら取り組めたと思います。

最後に気づきや感想をその場で書いてもらって貼り出す仕組みがとても良かったです。短い文でもすぐに見える形にすると、得たことの鮮度が高いまま記録されて、思い出して書いた文よりハッとできる。リアルタイムって大切なんですね。